連載 コースを知る。
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- 6月15日
- 読了時間: 7分
更新日:6月18日
18番 578ヤードPAR5 スターティングホールとフィニッシングホールのあり方

ピート・ダイに影響を受け、若くしてコース設計の道に進んだジャック・ニクラウス。18ホールのルーティング、レイアウト、それらの構成を学んでいく中、ダイの設計哲学がPGAツアープロに挑戦し続けるトーナメントコースにある事を悟ります。当時プレーヤーとして既に多大な名声を得ていたニクラウスにとって、ダイの設計哲学とその発想は最高の教材となりました。その中に最終18番、フィニッシングホールのあり方があります。
スターティングホールとフィニッシングホールのあり方
戦後米国ではゴルフ人口の増加と共に、ゴルフコース数も急激な伸びを示したモダンコース時代、ゴルフコース設計はパブリック、リゾート、プライベートの三つのコンセプトに分けられました。その中でトーナメントコースはパブリック、リゾートの分類に多く存在していきます。一日のプレーヤー数が多いパブリックではスターティングホールをPAR5にして、プレーの流れをスムーズに送り出すアイデアが流行り、バブル期の日本でも多く活用されたようです。クラシック時代の作品にはPAR3のスターティングホールがありますが、「PAR3で始まるゴルフコースなんてありえない!」と非難される方もいらっしゃるでしょう。しかし造成に重機がまだ登場していない時代、ゴルフコースは地形をうまく活用しランドスケープを整える事が設計のバイブルだったのです。
プレーのスムーズな流れを意識したスターティングホールをPAR5にする発想は、18ホールの構成の中で、プレーの流れが止まりやすいPAR3を果たして何ホール目にするべきかの議論となります。それらのコースは自然のランドスケープを壊しても、ゴルファーに気持ちよくプレーして頂くことを優先して造られただけに、けして高い評価は得られません。
日本のバブル期の作品の大半が世界から注目されず高い評価を得られなかった最大の要因は、コースの難度やその質よりも運営を第一に考えた経営者側の思考があったからでしょう。
ではフィニッシングホールはどうあるべきでしょうか?
欧米のプライベートクラブではPAR3で終わるコースなど沢山あります。日本では上田治の傑作、大阪GCの18番が156ヤードのPAR3で、外国の専門家たちからも大変高い評価を受けています。
トーナメントコースを意識したピート・ダイの作品では、TPCソーグラスを代表例に18番をPAR4にしている作品が大半を占めています。彼はグリーンのサーフェイスにブレイラインから強い起伏を用いるなど、ティショットの落とし場所次第では厳しいアプローチになり、グリーン上でパーかボギーかの決着を演出しました。
実はニクラウスもミュアフィールドビレッジやショールクリークなど若かりし頃の作品は18番をPAR4に設定していました。戦略性よりもティショットのミスにペナルティ要素を強める発想でした。仮にプレーヤーがレイアップを選択し距離を残せば、セカンドショットに厳しいハザード効果を作り出すなどコース設計家として厳しい一面も覗かせました。
時は経ち、用具の進化と共に、ニクラウスの設計思考も変化をみせてきました。
年間に多い時は何十もの新規プロジェクトを受注するだけに、地域別に設計チームを組み対処してきました。その地域の設計責任者たち、リードアソシエイツたる男たちの意見を組み入れてきた結果なのかも知れませんが、最終ホールをPAR5に設定し、トーナメントではイーグルでの大逆転を演出するリスクと報酬の理論を持ったホールを設定するようになりました。
最近では全米オープンのリノベーションやレストレーションを担当し、すっかりオープンドクターとなったギル・ハンスも自身の作品では「最終ホールをPAR5にしてイーグルトライをさせるのもパブリック、プライベートに関わらず、アイデアの一つかも知れません」と述べています。
東京クラシックの最終18番は、池をハザード効果にした設計で、2打でグリーンを捉え、イーグルトライをさせるリスクと報酬のPAR5です。実はニクラウス設計チームのアジア・オセアニアの作品ではこのように池を絡め、イーグルを狙わせるPAR5を18番に置く傾向にあるようです。
ニクラウスのオセアニアの作品ではベストの評価を得ているニュージーランドのキンロックGCはかつて火山地帯であった広大な農場にレイアウトされたコースで、内陸のリンクスといったイメージの作品です。ここの18番と東京クラシックの18番は周りの景色は違えど、まったく同じ設計コンセプトで造られているシグネチャーホールです。中国、広州市とマカオの丁度中間点となる江門市にある江門五邑蒲葵ゴルフクラブ(WuYi Fountain Palm GC)は、ニクラウス の長男ジャッキーが設計を手掛けた作品ですが、ここの18番545ヤードPAR5も池を絡めたリスクと報酬のホールとなっています。プレジデントカップが開催された韓国のジャック・ニクラウスGCの18番PAR5も同じコンセプトで設計されていますが、こちらは池を右側にした設計になっています。これら最終18番ホールの写真と図を添えましたのでご覧下さい。





「I’m home! ただいま!!」
以前に連載「GOLF Atmosphere」でもクラブハウスの歴史についてお話しさせて頂きましたが、産業革命以降、鉄道網が全国にひかれるようになると「己が町にもゴルフコースを!」と地元の有志たちが海岸線と生活の営みを育む放牧地を繋ぐリンクスランドにゴルフコースを建設するようになります。
19世紀から20世紀初頭までゴルフクラブ設立年は、ゴルフコース完成以前の有志たちが集うソサイティクラブ設立の年を表記していました。その後、ハウスが建設され、コースは3~6ホール、そして9ホール、18ホールへと拡張していったのです。
キリスト教の安息日に男たちが教会のミサにも行かずゴルフに親しんだ逸話がスコットランドのゴルフ史に語り継がれていますが、クラブハウスはそんな男たちが集う憩いの場でした。そしてメンバーならば、貴族であろうと商人、農民、教職者であろうと階級の差別がない男たちのAtmosphereを作り出すために一定のマナーを設けました。それがジャケット、タイでハウスに入り、物置き部屋はあれどロッカーはない時代ですから、彼らはそのスタイルでゴルフをプレーしたのです。ゴルフという球技の審判員がプレーヤー自身であるのも、メンバーたるもの階級意識は持たず、謙虚に相手を崇め、偽りは持たずルールに紳士であれと騎士道と同じ人間像をゴルフの精神としたのです。当時のゴルフ社会は男尊女卑であったと伝えられてはいましたが、それは女性がゴルフを楽しめないという事ではありません。事実、スコットランド女王メアリー一世がセント・アンドリューズでゴルフを楽しまれた話は絵画と共に伝えられていますし、女王が嫁いだフランスから帰還した際に連れてきた付き人たち「カデ」がキャディーへと変換していった話は誰もが知るところです。
強いて言うならば、男尊女卑の例えはクラブハウスにありました。クラブハウスにはメンバーたちの妻であっても入ることは拒まれました。階級制度のない男たちの世界だったからです。そして男たちにとってクラブハウスは仲間たちと集えるもう一つのHomeとなっていったのです。球聖オールド・トム・モリスが全盛を迎えていた時代、彼が設計したロイヤル・ドーノックなどをはじめ、ゴルフクラブの多くは、各ホールにその設計上のキャラクターや地名、歴史上の人物名などをホール名とし、クラブのアイデンティティを表現しました。トーナメントでメンバーたちがホールアウトしてハウスに入り、セクレタリー(支配人)にスコアカードを提出する際、「ただいま I’m home !」「おかえりなさい Welcome home !」の挨拶が交わされていた風習がありました。
日本でもクラブを訪れるメンバーとクラブスタッフの間にそんな挨拶が生まれたならば、なんとクールなことか。それを聞いたゲスト達はそんな何気ない挨拶の習慣にきっと憧れを抱くことでしょう。


Text by Masa Nishijima
Photo by Masa Nishijima, Gary Lisbon, Tokyo Classic.



