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連載 コースを知る。



 

リンクスから伝わる

ダブルドッグレッグホールの理論

 

東京クラシッククラブ8番ホールPAR5のダブルドッグレッグホール

Tokyo Classic Club 8番 PAR 5 555yrds


本場英国やアイルランドのオールドリンクスをプレーされた時、砂丘の高台のティインググエリアから遠く真正面にグリーンの存在を確認出来ても、いざスタートすると起伏を持つ砂丘の谷間を縫うようにホールがレイアウトされている為、時に自分がグリーンの方向に正しく向かっているのか、砂丘を登りグリーンの位置を再確認された経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。視界に広がるリンクスのホールはストレートに見えてもグリーンに辿り着くまでフェアウェイは左右に蛇行しているのが通常です。そしてアプローチからグリーンまでが再度砂丘の高さでブラインドになっている事など当たり前のように存在します。戦後に生まれたモダンコースではグリーンの位置が確認出来ないならばトーナメントにはアンフェアなコース設計だと非難をされるでしょうが、人は何故か自然の地形に委ねたリンクスコースでは見えないところに打つイマジネーションショットを素直に愉しんでいるようです。


米国では18世紀半ば、サウスカロライナで最初のゴルフクラブが誕生した事が英国からのスコッチの輸入樽の記述から判明しました。南北戦争(1861-65年)によってそれらの歴史は消え去られましたが、1880年代に入りゴルフルネッサンスへの道は開花します。本場英国からはハーバート・フォウラーやウィリー・ダンを筆頭にコース設計を手がけた名プレーヤーに管理部門でも才能を発揮していたドナルド・ロス等が米国の広大な大地に夢を求めやってきます。そして20世紀に入り、USGAの初代会長ともなったC.B.マクドナルドのリンクスの名ホールの攻略法をテンプレートしたクラシック設計の定義をベースに第一期ゴルフ場開発ブームが起こります。


1910年代半ば、フィラデルフィア郊外に後の世界ナンバー1コースとなるパインヴァレーGC(Pine Valley)の壮大な建設計画が浮上します。ゴルフ好奇心王とも呼ばれたオーナーのジョージ・クランプは砂質豊かな土壌を持つ松林の大地を購入、そこに設計に関心があるフィラデルフィアの見識者たちを集め、彼らとの共同作業に入りました。当時フィラデルフィアをベースに置くコース設計家たちのソサエティはフィラデルフィア・スクール・オブ・デザインと呼ばれ、メンバーにはアルバート・ティリングハスト、ジョージ・トーマスJr、ヒュー・ウィルソン、ウィリアム・フレイン等らが在籍していました。彼ら全員がクランプの呼びかけに応じたのです。彼らはハリー・コルトやC.H.アリソン、トム・シンプソン、アレックス・ラッセル、ウォルター・トラヴィスなど英国や豪州の著名コース設計家や文筆家たちとの交流を盛んに行い、互いに意見の交換をしては見識を深めていきました。クランプは更に英国コース設計界の巨匠ハリー・コルトに数ホールの設計を求め、コルトの代理として日本でも知られるC.H.アリソンがやってきます。後にアリソンはデトロイトに事務所を構え、北米にハリー・コルトのクラシックデザインを伝授し、設計界の発展に多大な貢献をします。見様見真似で造られていたゴルフコース創成期からテンプレートな攻略理論を持つクラシックコース設計の時代へ、パインヴァレーGCの完成は米国ゴルフコース黄金期の到来を意味するものでした。パインヴァレーが世界ナンバー1コースである最大の理由は、その黄金期を築いたコース設計家達の見識が集約された作品であるからに他なりません。


そして今回はそのフィラデルフィアスクールの代表でもあったアルバート・ティリングハストの設計理論に焦点を合せ、ダブルドッグレッグホールの解説に入りたいと思います。




Albert.W.Tillinghast(1876-1942)


1876年フィラデルフィアに生まれたアルバート・W・ティリングハストは、他の米国人ゴルファー同様にスコットランドにゴルフ留学し、球聖オールド・トム・モリスを師にゴルフを学びながらコース設計にも関心を持つようになります。


ティリングハストの設計哲学は常にゴルファー達に挑戦的な意欲を与える事を最大の目的としました。Baltusrol GC, Winged Foot GC, Somerset Hills GC、Beth Page State Park Black Course等に象徴されるように、彼の作品の多くがその土地の特徴な条件に適したチャンピオンシップコースです。彼の包括的で戦略性ある設計は各ホールがコース独自のアイデンティティを持つ事に繋がり、その価値を高める結果ともなりました。


C.B.マクドナルドがスコットランドギフトとしてリンクスの名ホールの攻略法をクラシック設計のテンプレートホールと定めた「レダン」、「ビアリッツ」、「ショート」、「アルプス」、「ダブルプラトー」、「パンチボウル」、「ケープ」、「ボトル」、「ロード」等、設計パートナーだったセス・レイノー(Seth Raynor)はその特徴をフランス式庭園かのような幾何学的デザインで表し後世へと伝えましたが、ティリングハストはマクドナルドが伝えたそのテンプレートホールのいくつかを設計の中に取り入れても、デザイン性はすべてその土地の条件に委ね、レイノーの幾何学的デザインを真似ることはありませんでした。彼は主にPAR3やアプローチショットにマクドナルドの理論を活用しました。


TillinghastのRedan Hole Somerset Hills GC 2番 PAR3



C.B.Macdonald / Seth Raynorの幾何学的デザインのRedan Hole Chicago GC 7番 PAR3


ティショットからアプローチに辿り着くまでティリングハストの設計に共通するテーマは、彼がアプローチショットに価値を持たせていた点です。


ティリングハストは通常、グリーンサイドに深くて威圧的なバンカーをセットし、プレイヤーの心理をテストするかのように攻略法を考えさせました。これらのバンカーはグリーンの両サイドからフロント方向に配置されるものもあり、ゴルファーはフェアウェイの適切な攻略ルートでない限り、高くて柔らかい弾道のアプローチショットが要求されます。またエレベーションを持つプラトーグリーン(砲台グリーン)ではグリーンフロントに強い勾配を持たせ、弱い打球はグリーンから転がり落ちるフォールスフロント(False Front)を設け、時にそれらはバンカーに流れ落ちるホールもありました。2020年、デシャンボーが勝利したWinged Foot GCでの全米オープン、最終18番グリーンでは多くのトッププレーヤー達がこのフォールスフロントの存在に悩まされていました。


リンクス志向の強かった時代、このように彼の設計理論は一風変った趣が隠され、そのデザイン性はグリーンの形状やハザードのサイズに大きな変化をもたらす事で、各ホールにイマジネーションを抱かせる。つまりプレーヤーのコースに対するメモラビリティー(印象度)を強く意識した発想でもありました。そしてそれらは後に戦後のモダンコース時代への進化に大いに役立っていくのです。


ティリングハストは世界ナンバー1コースで知られるパインヴァレーGCの共同設計において、オーナーのクランプに、自然の砂地を活用してフェアウェイをステレオタイプに分離させるアイデアを提供した人物でもありました。7番ホールに見られるフェアウェイを跨ぐ「地獄のハーフエーカー」と呼ばれる砂地のハザード地帯はその代表的なもので、彼はこれを後に「グレートハザードの活用」として文献に残し、その設計理論は戦後南部での開発範囲の拡張の一つとなった湿地帯におけるコース設計や芝への散水量が制限されたアリゾナのコース開発などで大いに役に立ちます。


Tliilinghastのグレートハザードの活用図  Stereo Type Great Hazard


彼は自然のハザード地帯の活用がどれほどゴルファーに挑戦意欲を掻き立て、的確な攻略ルートに最大のアドバンテージを持たすか、またそのルートの最終となるアプローチショットにイマジネーションを作り出せるものであるならばゴルフゲームはより楽しいものになると信じていました。そして彼のこの理論はリンクスに見られたダブルドッグレッグホールをより進化させ、クラシックコース設計の黄金期に生まれたテンプレートホールの一つになっていったのです。


Double Dogleg Plan2


Double Dogleg plan 1


このティリングハーストのアイデアは後に名門シネコックヒルズGCの改造にも多大なる貢献をします。その代表的ホールがクラブハウスに向かって緩やかに打ち上げていく16番パー5です。ティーからグリーンまではほぼストレートに計られたホールですが、いくつものバンカー群によってフェアウェイは蛇行し、ダブルドッグレッグを形成しているのです。多くのコース専門家たちはこの16番を世界のベストパー5、ベストバンカリングホールと称賛しています。


世界のベストバンカリングホールと称されるShinnecock Hills 16番PAR5


2025年秋にライダーカップが開催されるニューヨーク州ロングアイランドのベスページ・ステートパーク・ブラックコース(Beth Page State Park Black Course)は、これまでにも二度の全米オープン、一度の全米プロが開催されるなど米国東部最大の市営コースで、管理者だったジョセフ・バーベックが市の予算の中で設計を手掛けている中、ティリングハストが共同設計する事から、ニューヨークの名士たちも造成に掛かる予算を支援し完成された作品です。ブラックコースの4番はティショット、セカンドショットとバンカーで蛇行するフェアウェイを2度も斜め(Diagonal)に捉える戦略的ダブルドッグレッグホールです。また次の5番ホールもティから斜めに配置されたフェアウェイの手前にサハラの名称を持つ巨大なバンカーがかまえ、飛距離を出さないとセカンド地点から左サイド奥にあるグリーンが視界に入ってこないこちらもPAR4における戦略性ドッグレッグホールになります。この2つのホールはティからの視界で最も美観性に長けたシグネチャーホールズとなっています。



Bethpage State Park Black Course #4 PAR5 517 yrds Double Dogleg


Bethpage State Park Black Course #5 PAR4 478 yrds Double Sharrow Dogleg


ティリングハストのダブルドッグレッグ手法の中にはセカンドショットでブラインドのショートカットルートを選択できるホールやサードのアプローチがブラインドになる所謂イマジネーションの世界を演出するホールもありました。そして後に、グレートハザードとして使われた自然帯等が、後に美観性ある水際の戦略的設計へして変化していきます。ダブルドッグレッグの理論は、攻略ルートのヤーデージバランスの中でイマジネーションショットにバライティーさを演出しました。そして戦後、ティリングハーストのダブルドッグレッグ理論をモダンゴルフコースの舞台に最も活かした人物こそが皆様もご存じのファストグリーン(高速グリーン)の開発者でもあるロバート・トレント・ジョーンズ・シニア(Robert Trent Jones Sr 1906-2000)なのです。


メジャー大会18勝、2位19回を誇る帝王ジャック・ニクラウスもその戦いの中で様々なダブルドッグレッグホールに出会い、その度ごとに異なった攻略法を編み出してきました。東京クラシックの8番は設計当初PAR3ホールで、7番がPAR5でした。樹木の伐採をほぼ完了し造成に入る段階で、ニクラウスは突然7番をPAR3として8番をPAR5に変更する案を出してきます。ティーショットを蛇行したフェアウェイルートに沿ってステディに3打で攻めるか、又は、左サイドにバンカー群を配置し、それをターゲットに果敢にバンカーを超えるヒロイックルートを選択させ、2打で攻略するダブルドッグレッグホールの理論を持ち出します。彼のスタッフの中にはアプローチでグリーン面が見えないことを理由に疑問を投げかける者もいましたが、ニクラウスはフラットな地形が多い東京クラシックの用地で最もゴージャスな高低差を持つこのサイトを大事にしたかったのでしょう。ティリングハストのダブルドッグレッグ理論にあるイマジネーションショットの哲学まで持ち出し、断固として自身の考えを曲げませんでした。かつてはプレーヤーサイドに立ち、グリーン面が見えないブラインドの設計やクリークの存在がティからはっきり確認できない設計を強く否定してきた男がダブルドッグレッグに出来る発想からあらゆる攻略ルートが脳裏に描かれたのでしょう。8番ホール、アプローチでのイマジネーションショットをお愉しみ下さい。


Text by Masa Nishijima

Photo Credit by Larry Lambrecht, Masa Nishijima,

The Golden Age of Golf Design,

The Course Beautiful by A.W.Tillinghast. Tokyo Classic Club



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